『赤毛のアン』の作者L.M.モンゴメリの生家

世界名作劇場アニメ『赤毛のアン』と原作を比較すると様々な発見があります。 世界名作劇場のアニメーション『赤毛のアン』をもとに、アン・ブックスの魅力を辿ります。第4話「アン・生立ちを語る」は、小説・第5章「アンの身の上」に該当するエピソードです。孤児院に返すつもりのアンを連れて、マリラはホワイト・サンドへ馬車を走らせます…。※村岡花子さんの翻訳本(新潮文庫)を参照しています。

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アンの生立ち

世界名作劇場アニメ『赤毛のアン』第4話の簡単なあらすじをもとにアンの魅力を探ります。アンはグリーンゲイブルズに引き取られるはずでしたが、男の子ではないという理由で孤児院に返されることになり、マリラとスペンサー夫人の家に向かいます。悲しい気分のままマリラに連れられて馬車に乗ったアンは、自分の生立ちを聞かれるとに「そんなこと話したってしょうがないんだもの」と押し黙ってしまいます。

道すがら、マリラは事情を知っている様子の村人に会い、「とんだ災難だったねえ」と同情されますが、その様子を見て、アンはさらに落ち込み馬車を飛び降りてしまいます。悲しそうに空を見続けるアンと、馬車の中でじっと見守るマリラ…。

しばらく沈黙が続き、やがて 「もう大丈夫、すねたりしないわ」 とアンが気を取り直して戻ってきます。すると、マリラは「私も悪かったよ、あんたの気持ちも考えないで」と謝ります。

マリラと村人とのやり取りやアンが馬車から降りてすねる場面は、小説『赤毛のアン』には出てきません。アニメ作品ならではのオリジナルエピソードです。

馬車に戻ったアンは、マリラに自分の生い立ちを始めます。生後3か月の時に両親が熱病で亡くなり、トマスのおばさんが引き取ってくれたこと、 トマスさん一家は大変な貧乏で、大酒飲みのだんなさんがいたこと、アンより年下の子どもが4人もいて子守の手伝いをしていたこと、トマスのおじさんが亡くなった後、8人の子持ちで双子が3組もいるハモンドさん一家に引き取られたこと…。幼いころから家を転々とし、学校にも行けずに育ったアンの生い立ちを知り、マリラは心を動かされます。

「あたし、ノヴァスコシアのボリンブロークで生まれたの。この3月で11才になったわ。お父さんの名前は、ウォルター・シャーリー。ボリンブローク高校の先生だったの。お母さんはバーサ・シャーリー。ウォルターもバーサも美しい名前でしょう?両親の名前が素敵だったので、あたしとてもうれしいわ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

名前にこだわるアン

悲しい生い立ちを語る時でも、名前にこだわるアン。アニメ「赤毛のアン」で「お父さんがペパーミントという名前だったとしたら…」というセリフがありますが、小説では「ジェデディアなんていうんだったら…」と言っています。また、「もしバラがブタ草とかアザミという名前だったら…」というセリフも小説では「もしばらが、あざみとかキャベツだったら…」です。こんなちょっとした違いを見つけるのもお楽しみの1つです。

アン:「もしお父さんの名前が ええと…ペパーミントなんていうんだったら、ほんとに恥ずかしいんじゃないかしら?」


マリラ: 「行いがちゃんとしていれば、名前なんかどうだって構わないと私は思うがね」


アン: 「そうかしら?いつかバラはほかの名前がついていたとしても、やっぱりいい匂いがするだろうって書いてあるのを読んだことがあるけど…あたしは信じられないわ。もしバラがブタ草とかアザミという名前だったら、今みたいに素敵でなくなると思うの。お父さんがペパーミントという名前だったとしたら、やっぱりあたしがっかりすると思うわ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

花の名前について語るアンの例えは、”薔薇はどんな名前でも甘く薫る”というシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の引用だと何かの本で読みました。確かにアンが言うように、もし薔薇がブタ草という名前だったら、あまりいい香りがしないような気がしますね。でも、「行いがちゃんとしていれば、名前なんかどうだって構わないと私は思うがね」というマリラにとっては、どうでもいいことでしょうけど・・・。

アンのお父さんとお母さん

アンのお父さんとお母さんは学校の先生だったようです。アニメでは高校の先生、村岡花子さんの小説では中学校の先生、英語の原作では「High school」と書かれています。

「お父さんと結婚するまでお母さんも同じ高校の先生をしていたの。二人は結婚すると、ボリンブロークで小さな黄色い家に世帯を構えたんだって」

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世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

快読『赤毛のアン』: こんな「アン」、見たことない! (フィギュール彩) という『赤毛のアン 』 の原作を徹底解説した本の中に、当時の教師について書かれた興味深い文章があります。

ここでアンの両親が教師であったと述べられていることには大きな意味があります。教師は、当時のカナダにおいて、その職についている人が「リスペクタブル」(respectable)であることを保証してくれる数少ない職業のひとつだったからです。(中略)アンが母について口にするさりげないひとことは、彼女が当時の女性としてはきわめて高い教育を受けており、大学を出ている可能性さえあることを示唆しているのです。

快読 赤毛のアン

『赤毛のアン』は、時代背景と照らし合わせると、さらに作品の魅力が深まります。アンの会話の1つ1つにも、さらりと流すだけではわからない意味が込められているので侮れません。

ユーモアあふれるアンの言葉

ホワイト・サンドへ向かう馬車の中でのアンの会話には、名言やユーモア溢れる言葉がたくさん出てきます。想像力さえあれば、どんなに辛いことでも楽しいことに変換できる!・・・アンの言葉の1つ1つに、どんな時代でも通用する処世術が潜んでいます。

「あたし、このドライブを楽しむことに決めたわ。楽しもうと決心すれば大抵いつでも楽しくできるものよ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

「赤毛のアン」第1話でも「みんなあたしの言葉遣いが大げさだって笑うのよ。でも、大きな考えを伝えようとすれば言葉遣いだって大きくなってしまうわよね」とマシュウに語る場面が出てきますが、アンの少し大げさな表現は落ち込んだ心を前向きに変える不思議な力を持っているようです。

「あら、早咲きの野バラよ!きれいね~きっとバラに生まれてよかったって思ってるでしょうね。もしバラに口がきけたら素敵ね。きっととてもきれいなお話をしてくれると思うわ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

『赤毛のアン』には、プリンスエドワード島の四季折々の美しい自然が描かれていますが、アニメの中で描かれるアンが空想する花の描写も素敵です。

うずもれた希望の墓場

「あたし、ピンクが大好きだけど、着るわけにはいかないの。赤い髪をした者は、ピンクのものは身につけられないんだもの。小さい時髪が赤くて大きくなってから髪の色が変わった女の人、おばさん知ってらっしゃる?」と聞くアンに「いいや、知らないね」とそっけなく答えるマリラ。すると、赤い髪のせいで”完全に幸せになれない”と思い込んでいるアンは、顔を曇らせながらこう言います。

「ああ、これでまた希望がひとつ消えたわ。あたしの一生は完全に“うずもれた希望の墓場”だわね。これ本で読んだ言葉なんだけど、がっかりするたびに繰り返し言ってみて自分を慰めるのよ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

「それがどうして慰めになるのかあたしには分からないね」と、マリラは呆れた顔をしますが、ロマンチックな言葉は自分を奮い立たせる効果があることをアンは知っているのです。

渚の道(海岸通り)

「渚の道」は、キャベンディッシュ(アボンリー)の海岸からセントローレンス湾の赤土の崖に沿った一本道。アニメでは「渚の道」と呼んでいますが、村岡花子さんの翻訳では「海岸通り」です。アニメ作品と小説のちょっとした違いを発見するのも、アン・ファンにとっては嬉しいことの1つです。

アン:「今日も“きらめきの湖”を渡っていくの?」
マリラ:「バリーの池は通らないよ。それがあんたの言う“きらめきの湖”ならね。今日は渚の道を行くんだよ」
アン:「渚の道って素敵ね。渚の道っておっしゃったとたん、パッとそこの景色が目に浮かんだわ」

世界名作劇場「赤毛のアン」第4話

運命の場所

「トマスやハモンドのおばさんは、あんたによくしてくれたのかい?」と、マリラが尋ねると、アンは言葉を詰まらせ、「あら、2人ともそのつもりはあったのよ。できるだけ親切によくしてくれるつもりだったんだと思うわ」と答えます。ひどい扱いを受けたことは明白でも決して話題にはしないけなげなアンに愛おしさを感じるマリラ…。孤児院に送り返すはずだったマリラの心が大きく変化する場面です。渚の道(海岸通り)は、アンにとってもマリラにとっても”運命の場所”と言えるでしょう。

”苦しい、貧しい、人に顧みられない生活”を送ってきたアンにとって、生い立ちを語るのは本当に辛い思いだったはず。時には脱線してしまうアンの身の上話の場面では、「話は時々横道にそれたが、つらかった生い立ちを語らねばならないアンにとって、それはどうしても必要な息抜きのようなものであった。」というナレーションが入ります。そう、つらい経験を語る時は、心がこれ以上傷つかないように、どうしても”息抜き”が必要なのです。アニメのナレーションから、悲しい過去を想像力で乗り越えてきたアンへの温かい眼差しが伝わってきます。

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